8月7日に、鳥羽市議会として、三重県に対して離島架橋の早期実現を求める意見書を提出してきました。
メンバーは河村議長、南川副議長、答志島の濱口議員、神島の山本議員、そして私です。鳥羽市議会に対して、請願をした自治会連合会の斉藤会長も同席してくださいました。

なぜいま架橋なのか
これまでにも、町内会や答志島架橋建設促進協議会として、市や県や国に対して架橋の要望をしてきました。三重県議会では平成21年に離島架橋の早期実現に関する請願が全会一致で採択されています。しかし、これまでのところ、具体的な計画には至っていません。
昨年10月には、夜間の船舶事故により、3名の方が亡くなりました。全国ニュースになったため、覚えていらっしゃる方も多いでしょう。これを受けて、生命の安全と暮らしの安定のためには離島に橋が必要である、と鳥羽市全域の町内会の集まりである自治会連合会が市議会に対して、請願を出されました。
請願の内容はこちらをご確認ください。
いがちゃんは架橋反対では?
ここで私の考えを改めて書いておきます。
事実として、地域おこし協力隊の頃に書いたブログでは、橋は欲しくないという当時の気持ちを正直に書いています。確かに移住して2年目の2018年の頃の答志島の住民五十嵐ちひろは、離島架橋には賛成していませんでした。
しかし、この数年の間に考え方も変わりました。
離島には救急車が来ることができません。本土への交通手段が船舶に依拠している状態では、本土に住む人と同様に生命や生活が守られているとは言えない状態です。「命の格差があってはならない」その思いに私は強く共感し、離島の架橋を実現して欲しいと思っています。そして、私自身離島に住むという経験をした市議として、架橋の実現を求めることが、自分の仕事だと考えます。
県に対して意見書を手渡す
河村議長から、野呂副知事に意見書が手渡されました。河村議長をはじめ、全ての議員と斉藤会長が、架橋に対する想いを自分の言葉で伝えました。答志島に住む濱口議員は、先日の津波警報の話もまじえて困難を訴えました。神島に住む山本議員の「海難事故があると緊急時に船を出して、と人にも頼みづらくなる」という話も非常に説得力がありました。
私自身は、これまでの経緯などについての知識が浅いこともあり、個人的な経験を訴えた方がよいと考え、実際に子どもの事故で救急車を呼んだときの経験を話しました。家族に子どもや高齢者がいると、緊急時の心配はより大きくなるという心情は伝わったと感じました。
副知事の回答
その場で野呂副知事からは、「市民の総意は大きい」との言葉がありました。また、「知事も問題意識は持っている」とのことでした。知事はこれまで、離島架橋と経済発展のための北西の道路整備を同列に語ることもあり、離島架橋に対して積極的な姿勢はとっていません。この意見書を受けて、今後どのような動きがあるのか、注視し、また県議会議員の方たちとも協力しながら架橋を進めていきたいです。